藪掻きわけるとワイヤーロープで厳重に固定された巨岩、もしやこれが見張岩だったとか?
そーっと覗いて、お〜コワ!(。。;
さっきの見張所にお二人が登って来られたのを見止め、
そうそうに登山道に戻る。
爺、待たせた!(笑)
まだまだ急登は続くけど、その先の「天神地蔵」の先端もビューポイント
見えてるのはやっぱり、吉井川だけだけど。(笑)
この「天神地蔵」は城主の浦上宗景が、若い戦死者を弔うために奉納したらしい。
1562年モノとなると、さすがにもう原形をとどめてないけど、、
↓
登りきったところでポンと平らなとこに出て、ここが下の段
そのすぐ上が西櫓台、
その上が三の丸と、俄か城跡らしくなってきた。
東屋で小休止。
天神山城
山頂の鳥瞰図を見ると、稜線を削って造られた、かなり大規模な山城だったと推測できる。
ここは城主宗景が後から造ったもので
この右にまだ、前期の天神山城が続き、、つまりが連郭式巨大山城だったというわけ。
ふーむ。
、、なので、先へ進む。(笑)
その先の「桜の馬場」も広々してて、城の拡張工事のための鍛冶場もあれば、
急坂を下って、城内の水確保のための百貫井戸など、
この辺りが城の中郭を担っていたようだ。
桜の馬場の向こうにはシンボリックなカゴノキ。
私なら余裕で中に入れそう。(笑)
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巨大城跡は、その後も倉庫だった長屋ノ段、二の丸、空堀と続き、
そしてついに本丸跡。
城が造成される前は村の守護神の「天津社」だったようで、
その神さんを麓に移し、城に着工したのだと。
本丸跡に展望というほどのものはないが、木々の間に「田土の棚田」が覗いてる。
うろちょろして、ようようビューポイントをゲット。(^^)v
本丸跡を頂点に、侍屋敷跡へのルートを見送ると
飛騨ノ丸、堅掘、馬屋ノ段、南櫓台、南の段と道はどんどん下っていって、いよいよ堀切に達する。
ここまでが後期山城で、続きまして前期山城。(笑)
鳥瞰図で確認。
↓
ガツンと下った後、急な登り返しで、前期山城に入る。
ゴツゴツと岩が突出
防衛のための石門、軍用のための石場など、緊迫していた当時の情勢が窺える。
登りつめたら太鼓の丸。
ここは浦上氏の前の日笠氏が、室町時代に築城していた旧天神山城で
宗景は地の利を生かし、ここに「太鼓櫓」という物見台を造った。
物見台というだけあって、さすがに見晴らし抜群で
さっき苦労して撮った「田土の棚田」も、真正面にバーン、難なく見えてる。(笑)
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振り返れば辿った稜線、本丸や背後の山もぼんやり霞んで見えていて、
ちと同定するのは無理だけど、(^^ゞ
みかんを食べて一服し、その先の三角点へ。
三角点は藪の中だが、旧天神山城時代には本丸だった所のようだ。
さらに進むと遊歩道になって、「ビジターセンター⇒」との表示
ビジターセンターでトイレを借りる。
ここは「和気美しい森」という立派な名前のキャンプ地で、夏休みにはそれなりに賑わうらしい。
さっきの展望の太鼓の丸まで引き返し、お昼にする。
朝見かけた二人組のオジサンとここで一緒になって、
今から湯郷温泉を経由して鳥取まで帰るんだと、、いいねぇ、(^_^)/~
下山路
ミツは本丸まで戻り侍屋敷跡を下るようだが、私はやっぱり母なる吉井川をもう一回見たいかなぁ、、(^^ゞ
下る途中で、鳥取のオジサン車を、高いところから見送る、(^^)/~~~
下山はミツと、ほぼ同時だったようで
サイクリングロードを辿って戻るミツを出迎える。
すぐ近くに宗景の長男、与次郎の墓があるというので行ってみた。
与次郎は、家臣の宇喜多直家の娘を嫁に迎えたが、義父の直家に毒殺されたと伝えられ
その後、天神山城は落城
さぞ無念だったことだろうと、ひっそりと残る五輪塔を見上げて合掌。
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なかなか歴史の重みを感じさせる名山城だったと振り返りつつ時計を見ると
まだ13時半
かなり時間も早いので、近くの山野草保護区にも立ち寄ることにした、、